赤毛のアスカさん/104
制服で結婚式に出席しろ、なんてのは当然アスカからすれば暴挙でしかなかった。いくら、シンプルなドレスにがっかりしていたとしても、それでも制服よりは断然マシだ。シンジも指摘したようにアスカはドレスを着られる機会を心から待ち望んでいたのである。そして今回、晴れてドレスのデビューが決まり、ヒカリの結婚式と併せて楽しみに待ち望んでいた。それをまあ、ドレスじゃ目立つから制服を着て出席なんて、アスカは俄然納得出来なかった。だから、アスカは戦ったが完敗した。ミサトが言い聞かせたことはいかんせん正しかったし、加持までもが、かわいそうだと思いながらもアスカを説得する方に回ってしまったのだ。そうなるともう、勝ち目はなかった。
そして、結婚式の当日。寝起きのアスカを見た誰もが胸を痛めずにはいられなかった。ドレスを着られない悲劇に、一晩中泣いたらしいのは明らかだった。真っ赤になった目で、アスカはどんより挨拶をした。制服で結婚式に出席しなくてはならなくなったアスカの悲壮を、誰もが自分のことのように受け止めていた。ミサトも加持も、シンジでさえ正装していくというのに、アスカだけが制服を着ていかなくてはならないのだ。加持はもう一度駄目だと分かっていながらも妻に訴えずにはいられなかった。
「かわいそうじゃないか?目を真っ赤にして、よっぽどドレスを着たかったんだろうに。あんなにがっかりして」
だが、ミサトだって気持ちは一緒だった。アスカの真っ赤になった目はあまりにも痛々しく映っていた。それをまあ、耐えなくてはならないこのつらさ。アスカもつらいだろうが、そうしたアスカの姿を見守るしかないミサトだってやはりつらかった。
「仕方ないでしょ、これ以外に方法があるっていうの?わたしだって、アスカがかわいそうで仕方ないんだから。でも、アスカには自分の結婚式があるじゃない」
それが励ましになっているようには到底思えなかった。それに加持としては、どれだけ先になるかも分からないアスカの結婚式のことまで考えたくはなかった。
シンジは落ち込んでいるアスカのために、食卓をアスカの好物で埋め尽くした。何とかアスカを元気にしてあげたかったのだ。普段ならば、すっかり目を輝かせるはずのアスカだったが、今日だけはどうしても駄目だった。アスカは疲れたような鈍い動きで食事をとった。
「・・・あんなアスカ、見てられないよ。かわいそうだよ。そもそも、あんなのアスカじゃないよ」とシンジも両親に訴えた。みんな同じ気持ちだった。食事を終えて、身支度を済ませ、みんなそれぞれ着替える。ミサトも加持も、シンジさえも華やかな姿に変身したが、アスカだけは普段通りの格好だった。唯一、アスカに許されたのはレイが作ってくれた髪飾りだけだった。クリーム色のレース使いの花型の髪飾りは制服と併せてもよく映えた。
だが、そんな可愛らしい髪飾りなど気づいてさえいないかのようなアスカの表情は、更なる悲壮を誘った。今のアスカの姿ならば、ドレスを着てもそう目立つようにならないのではないかと加持は内心思った。でもそれではもっとかわいそうな気がしたので、口に出すのははばかられた。
ドレスのことは誰も言わないようにしよう、とみんなは口裏を合わせた。これ以上アスカを傷つけて何になるというのだろう?アスカはぼんやり家族の正装を眺めていた。ミサトの黒いドレスの美しいことといったら!高校生の母親がいるようには全く見えなかった。少々食べ過ぎの感はあったものの、それでもミサトはちゃんと体型を保っている方だった。加持は孤児院からやって来たアスカを迎えに来た時のと同じスーツを着ていた。アスカはそれを見ると懐かしくなり、と同時に身分をわきまえなくてはならないとうなだれた。そうだ、孤児の自分がドレスを着たがるなんて過ぎた願いだったんだと思えば、涙なんか忘れられた。ドレスが着られないくらい、何だというんだろう。
シンジは買ったばかりのスーツに、着られているような状態だった。生まれて初めての正装に我ながら緊張し、しゃちほこばったその姿はやけにこっけいでアスカは笑ってしまった。そんなアスカの小さな笑い声を聞いた家族はすっかり嬉しくなり、シンジに感謝した。シンジにスーツが似合うか似合わないかなんかこの際だし、どうでも良くなっていた。笑われた当事者である、シンジさえも嬉しくなった。
リツコもやって来た。リツコは加持家の車に便乗させてもらう手はずになっていた。だが、車は四人乗りなので、渚家がやって来てアスカだけはそっちに乗せてもらう予定だった。綾波家は車で直接ヒカリの家に向かうということだったので、現地で合流することにした。何とまあ、にぎやかな結婚式になるんだろうと、誰もが期待に胸を膨らませていた。
リツコはすぐさま、アスカの目の赤さを見て取った。制服を着たアスカは、まるでお葬式帰りのような顔をしていた。それも、とても仲の良い誰かが死んで、一晩中泣き続けたかのようだ。
「おはよう」
リツコが声をかけると、おはよ、とアスカも答えた。それから、
「リツコ、すごくきれいね」と言った。
「ありがとう」
そう答えて微笑みながら、気丈な子だわ、とリツコは思った。どうかそのまま、ずっと良い子でいてちょうだいと。
そうしているうちに渚家の車がやって来たので、加持家とリツコはぞろぞろ家を出た。もはや結婚式を楽しみにすることさえ、彼等は一種の罪悪の気がしていた。一番楽しみにしていたアスカがこんな仕打ちにあっているというのに、どうやって他の者たちが結婚式を楽しみにし続けられるだろう?
車から降りてきたカヲルの父は、いつも同様ぱりっと決まっていた。それにしたっていつも非の打ち所がない人だと、カヲルの父を見た誰もが思っていた。この人は、洋服をしっかり着こなすすべをわきまえていた。カヲルもこんな大人になるんだろうかと面々は訝った。いや、カヲルはきっともっとやわらかい感じになるだろうと予言するのだった。
「おはようございます、みなさん」とカヲルの父は言った。
「雨が降らなくて何よりでした」とみんなに言った。ああ、と聞き手は今更ながらに思った。確かに空は曇ってどんよりしていたものの、雨は降っていなかった。昨日まではあんなに天気を気にしていたはずなのに、アスカの服装問題で天気なんかすっかり忘れてしまっていたのを今更ながらに気づいた次第だった。
カヲルの母は車から顔を覗かせて、一同に微笑んだ。
「どうも、こんなところから失礼致します」と謝って、挨拶をした。カヲルの父はアスカの目が赤いことにすぐさま気づいたが、もちろん知らない振りをした。カヲルから全てを聞いていたので、アスカがかわいそうになって、胸がつぶれそうな思いだった。全く、こんなきれいな子がドレスを着たら美しいのは当然なのだ。その美しさを有効に使って何が悪いというのだろう?カヲルの父は訝ったが、一方のカヲルの母は全面的にミサトに賛成だった。もちろん、アスカはかわいそうだったが、でも主役は花嫁なのだ。花嫁に、狭苦しい思いをさせてはいけないというわけだ。たとえ、ヒカリが気にしない風だったとしても、人々の記憶に残り続けるものを考えれば、その辺は考慮すべきだというわけだった。
「では、謹んでアスカちゃんを預からせていただきます」と嬉しそうに言ったカヲルの父は、アスカが車に乗り込むのに手を貸してやった。その際に、せめてもという思いでアスカの髪飾りをふんだんに褒め称えた。アスカが恥ずかしそうにはにかむ姿に、カヲルの父はますます痛々しい思いだった。アスカは空ろな気持ちでいつもの場所に乗り込み、カヲルに会った。
「やあ、おはよう」とカヲルもすぐさまアスカの目が赤いことを見て取ったものの、気づかない振りをして陽気な挨拶をする。
「おはよ」とアスカはやる気がなさそうに答えた。それから、疲れたようにシートに身体を沈めると、正面を凝視した。他人の華やかな装いを見さえしなければ、全て忘れられるだろうと思っているかのようだった。
「雨が降らなかったのは、洞木先生の日ごろの行いの良さなんだろうね」とカヲルは話のきっかけを作るために言った。
「ジューンブライドだものね」とアスカは答えた。曖昧な返答だとカヲルは思った。
「アスカちゃんも結婚するなら六月が良いのかしら?」と渚夫人は優しい口調で聞いた。アスカはそうした質問をされると少し恥ずかしそうに頬を赤らめてから、慎重に答える。
「あたしは、夏が良いわ。夏が大好きだから七月か八月が良いわ」
すると、渚夫人は朗らかな優しい響きで笑った。カヲルの笑い方に少し似てる、とアスカは思った。
「あなたは、太陽みたいだものね」とカヲルの母は言った。どういう意味なんだろうとアスカは目をぱちくりさせながら、微笑んだ。相手が見ていないのは分かっていたけれど、そうする以外に方法を思いつかなかったのだ。それから、無意識のうちにカヲルを見やった。カヲルの方が夫人の扱いを心得ているとでも思ったのかもしれない。そして、アスカははっとした。今までと同じでしかないことが当たり前だと思っていたのだが、今日に限って彼等は学校に行くのではない。結婚式に行くのだ。にも関わらず、アスカは車に乗り込んだ時、カヲルの姿にいつも同様の慣れ合ったものしか見出していなかった。それこそがおかしいはずなのに、アスカは全く気づかなかった。カヲルもアスカと同じように、制服を着ていたのだった。
「な、何であんたまで制服着てるの!?」
びっくりして、アスカは思わず元気になった。突然の大声にカヲルは少し驚いたようだったが、それでも微笑んでみせるくらいには落ち着いていた。アスカがびっくりするだろうことくらいなら、予想出来ていたのだから。
「君一人じゃ浮くんじゃないかと思ったからさ。クイーン学院の生徒は、どんな式に参加するのも制服着用必須のこと、ってことにでもすれば不自然じゃないよ」
「・・・な、何もあんたが制服着ることなかったじゃない」
アスカは途方に暮れた思いで言った。
「僕は男だから制服だろうと正装だろうとそう変わらないよ。君みたいにおしゃれしたいってわけでもないし、実際どうでも良いんだ」
「そ、それでも・・・」と何とか続けようとするアスカを、カヲルは制止した。
「制服だって良いじゃないか。それに僕は結構この制服を気に入ってるんだよ。君だってそうだろ?制服が好きだって言ってたよね」
カヲルにそう問いかけられたアスカは、そうなんだけどという同意を込めて首肯した。確かに制服は気に入っていたが、結婚式に着ていくようなものでもないのは承知していた。それでも、花嫁が主役の本日はそうしたアスカの嗜好など誰も気にしたりはしない。アスカが何を好きかが重要なのではない。花嫁にとってどういう式になるか、それだけが大切なのだ。アスカがこれほどまで明確にカヲルの優しさを実感したのも初めてだった。優しくないとは思っていなかった。でも、アスカはそれを普段さほどまじめに意識していなかった。むしろ、カヲルに優しくされるのが当たり前なのだと思っているところさえあったほどだ。
カヲルの言う通り、男の子と女の子ではこうした状況においての洋服に対する考え方は全く違うのだろう。それでも、カヲルはアスカが一人目立たないようにと制服を一緒に着てくれたのだ。それは表現出来ないほどに感謝すべきことだった。
現地について、カヲルを見た誰もが驚倒した。アスカと一緒に制服を着ている姿を見て、驚きながら救われた思いだった。アスカ一人、肩身の狭い思いをしなくて済んだのだ。カヲルのそうした気遣いに誰もが心から感謝した。加持はカヲルの父にもお礼を言って、カヲルの父は我が息子ながら、と加持に語った。
「今回ばかりは誇りに思いました。あんなかたちでアスカちゃんを気遣ってあげられたということは、男として誇らしい思いです」というわけだ。加持も断然同意した。
「全く、素晴らしい息子さんです」
華やかな席で紺色の制服を着た二人は、一種独特の雰囲気をかもしだしていて、それだけでも不可侵に見えた。二人は足並みをそろえて、ヒカリの家に向かった。ミサトはアスカを(カヲルが制服を着てきてくれたことで)からかいたくてうずうずしていたが、今回に関してはかなり微妙なところなので、何とか堪えていた。二人だけ制服なんておそろいでカップルみたいね、そう言いたかったのだ。
「ありがとね」とアスカはみんな同様心からカヲルに感謝せずにはいられなかったので、素直にこの言葉が言えた。いや、違う。昔のアスカならばこうした窮地に立たされていたとしても、やはりこう簡単には言えなかっただろう。アスカは、カヲルが感謝されたいなんて思っていないことを知っていたのだ。感謝されたいと思いながらした行為だったとすれば、アスカは頑なにお礼なんか言えずじまいだったに違いない。カヲルの行為は無償で、アスカの感謝なんかあてにしてはいなかった。アスカが素直じゃないことはカヲルだって嫌というほど分かっているだろう。だからこそ、アスカは素直にお礼を言えたのだ。
案の定、カヲルは目を丸くした。まさかアスカに感謝されるなんて考えてもみなかったのである。それでも、カヲルは素直にお礼を言ってくれたアスカの気持ちが心から嬉しかったので、俄然微笑んだ。そして、答える。
「どういたしまして」
自然にアスカも微笑んでいた。

