Astaire Color



赤毛のアスカさん/103


 梅雨は困るとシンジがぼやくと同時に、その梅雨がやって来た。例年通りにやって来た梅雨は加持家さえも巻き込んで、毎日毎日雨を降らした。アスカは窓辺に座って雨が降るのを眺め、早く夏がやって来ないかと願う。シンジは洗濯物が干せないのをこぼし、加持は農作物を日々心配していた。それに、こうも雨が降ってはまともに働けないのだ。ミサトだけが、梅雨の最中でも相変わらずはつらつとしていた。そうした妻の元気さだけが、加持にとっては唯一の救いとなっていた。雨のせいで子供たちまでもが落ち込んでしまっているのは毎年のことだった。
 ミサトが最近やけに楽しそうな理由を知っているアスカは、そんな彼女に完璧な母親像を見出していた。息子の幸せのために、ミサトはあんなにも幸福そうなのだと思うと、アスカとて嬉しかった。
 そんな梅雨の最中に、とうとうやって来たのがヒカリの結婚式というイベントだった。アスカにとってはまさに待ち望んだイベントであり、六月に入ると毎日指を折ってカウントしていたほどだ。ヒカリがどんな花嫁衣裳を着るのか、式はどんな風に行われるのか、誓いのキスがどう交わされるのか、アスカにとってはまさに楽しみにしている映画がやっと見られるような、そんな大きな期待でもって待ち望んでいた。そして、とうとう明日にまで迫った土曜日。小雨が降り続く中、アスカはうっとりしながらダイニングのテーブルで頬杖をついて、何やら思案していた。部屋にいるのはアスカとレイだけだ。休みの日なのでカヲルも来ていたが、男たちはそろいもそろって畑に出てしまっていた。このくらいの雨ならばまだ大丈夫だろうというわけだ。
「とうとう明日ねえ。ヒカリの結婚式、晴れると良いけど」
 そんなことをぶつぶつ言って、また同じことを何度も考え始める。何にしたって、ヒカリの相手はどんな人なんだろう?大工って言ってたけど、素敵な人に違いないとアスカは見ないうちから勝手に決め込んでいた。ヒカリが選んだのだから素敵じゃないはずがないというわけだ。
「あんた、どんなドレス着て行くの?」
 隣りでせっせと明日のアスカの髪飾りを縫っていたレイはそう問いかけられると顔を上げた。
「・・・水色のドレスを着ようと思ってるの」
 レイが答えると、ああ、あれね、とアスカは答えた。アスカはレイがどんなドレスを持っているのか細かく知っていた。何度か着せてもらったこともあるくらいだ。綾波夫人の趣味はそれなりに良く、レイはなかなか素敵なドレスを持っていた。件の水色のドレスは、アスカが最も気に入っているものだった。レースが袖の部分や襟の部分に細かく縫いこまれていて、スカートのふくらみも理想的だった。レイのちょうどひざ小僧が隠れるくらいの長さだし、ぴったりくっつく上半身はレイのほっそりした身体を魅力的に見せるのに役立っていた。レイは、アスカがそのドレスが一番自分に似合うと言ってくれたのを忘れていなかった。
「あんたにぴったりのドレスだものね。あんたがあれ着てくるのも楽しみだわ。シンジにしっかりアピールしなくっちゃ!」とアスカは相変わらず張り切って叫んだ。それから、もしかしたらレイのあまりの美しさにシンジは気絶でもするかもしれないと、つまらない妄想を始めて含み笑いをもらす。明日は、ヒカリの式以外にも色々楽しいことがありそうだった。
「シンジくん、気に入るかしら」
 少しばかり心配そうな口調でレイが聞くと、何言ってんだとばかりの勢いでアスカは請け合う。
「気に入らないはずないじゃないの!あのドレス着たあんた、どっかのお姫さまみたいよ。大丈夫だって」
「ありがとう」
 そんな会話をしながら、アスカはその点自分のドレスなんか、と改めて落ち込んだ。あんなつまらないシンプルなドレスを着て楽しい気分になれる女の子がいるとは到底思えなかった。どうして自分ばかりあんなつまらないものを着なくちゃいけないのかしら。すっかりアスカはむくれて、そんなことを考える。どうしてもあのドレスが気に入らなかったのだ。もちろん、ヒカリが花嫁なんだから主役なのは分かっている。でも、いくら招待客だからって少しくらい素敵な格好をしたって良いだろうに。現にレイなんかあんな素敵なドレスを着てくるというのに、自分はシンプル以外何のとりえもないようなドレスを着なくちゃならないと思うと、気がめいるのだった。
 レイは一生懸命アスカの髪飾りを縫っていて、時々アスカの髪に合わせては満足げに作業を再開させる。クリーム色のレースを小さな花型に仕立てたもので、レイなりにアスカのドレスに合わせて考案したものだった。アスカは、このレイが作ってくれる髪飾りだけが救いだと思っていた。
 午後になると、張り切ったミサトが帰って来た。明日に向けて最終チェックというわけだ。リツコも一緒に現れた。リツコも式に呼ばれていたのだ。ヒカリの教師としての人望が評価されているのか、町中のほとんどが式に出席することになっていた。リツコはヒカリと顔見知り程度だったが、加持家も行くんだし、ということで便乗して出席することに決めたのだった。
「たっだいまー。あら、二人とも精が出るわね。何やってんの?」
 ぼんやり頬杖をつくアスカと、せっせと縫い物に集中するレイのどちらにでもなくミサトは聞いた。
「・・・レイがあたしのために髪飾り作ってくれてるとこなの」と説明したアスカの視線はもはやミサトに向けられていなかった。リツコがケーキを買って来てくれたのだ。
「あなた、好きでしょう?」とリツコはケーキの箱をテーブルの上において、アスカの目が輝く。
「まあ、嬉しいわ!ありがとう、早速みんなで食べましょうよ、お皿、お茶だわね。あらっ、みんな帰って来たら良いのに。小雨だからってまた畑に行っちゃったの」とアスカは大人たちに説明した。
「まあまあ、明日のためにあんまり無理しないで欲しいのにね。風邪でもひかれたら大変だわ」とミサトは男たちの身を案じて呟いた。それからはっとなって、アスカに言う。
「アスカ、ケーキは後になさい。それより先にあなたのドレスの最終チェックしときたいのよ。あなた、あれ試着しないで買ったじゃないの」とミサトはその点を指摘した。その通りだったアスカはむっとした顔になる。あんまり試着しすぎて嫌になったあげく、ミサトが苦渋の策で取り出して来たドレスをアスカはもう良いからと言って決めてしまったのだった。何でも良いから買ってやれという半ばやけっぱちの気分だった。
「大丈夫よ、サイズ合ってたもの」
「でも、一応見ておかなくちゃ。ドレスを見たら、ケーキ食べましょう」
 ミサトの提案にしぶしぶ頷いたアスカは、ドレスさえ着ればケーキが食べられるんだという思いで自室に行った。カヲルがシンプルが好きだといって褒めたドレスは依然として壁にかけられていた。アスカはそれをどうしても好きになれないんだという表情で数秒見つめる。ドレスに対する理想ならば多々あった。床に届きそうなくらい長いドレスや、目がくらむほどに美しいレースを施したドレス、袖のふくらみだって重要だったし、スカートのかたちだってアスカにとっては生死と同じくらい大切だった。にも関わらず、あてがわれた現実はというと目の前の、何も手を加えていないことこそがとりえなのだといわんばかりの地味なドレス。ため息をついたアスカは、気が乗らない動作でせっせと着替える。それから鏡で見てみる。ああ、どうしてこんなに地味なのかしら。我ながらそのドレスの華のなさを嘆くのだった。でも、ミサトの言う通り主役はヒカリなのだから、自分が地味なくらい誰も気にしないんだと、何とか言い聞かせる。それがまた悔しくもあったが。
 階下に下りていくと、レイも含めた女性陣の視線は一気にアスカに集まった。ミサトとリツコは目を丸くしていた。レイは、うっとりしてアスカを見ていた。こんな美しい存在を見たことがないと言わんばかりの表情だった。ドレスを着て所在なさそうに突っ立ったアスカは、拗ねたような表情をしているにも関わらず、アスカ独特の気品をかもし出していた。ミサトは数秒アスカを凝視した後、がっくり肩を落とした。
「・・・まずいわね」と呟く。
「な、何がまずいのよ」
 これ以上文句を言わせてたまるかとばかりの勢いでアスカがふてくされながら聞くと、
「シンプルなら大丈夫だろうと思ったのが間違いだったわ。・・・もうちょっとがらがらしたやつのが良かったのかしら」とミサトはぼやいた。
「シンプルなものほど人を美しくするっていう考え方もあったわね」とリツコは冷静を装って意見を呈した。
「すごく似合うわ」とレイはすっかりアスカの格好に吸い込まれるように言った。実際、全く飾り気のないドレスを着たアスカは、どこかの国の王妃か何かのような気高さが兼ね備えられていた。だが、そのドレスがぴったりアスカに似合っていることを素直に褒めたのはレイだけだった。ミサトもリツコも、どうすれば良いんだろうと案じた。またドレスで頭を悩まされる羽目になるなんて、考えてもいなかった。
「って、どうすんのよ。また買いに行くわけにも行かないわ」
「これを着ていくしかないでしょうね」とリツコが言うと、ミサトはまじまじとアスカを見つめ、ヒカリの面子をつぶすようなことは出来ないと断固否定するのだった。
「駄目よ、アスカがこんなどっかの皇室みたいな姿で行ったら洞木先生がかわいそうじゃないの。せっかくの花嫁なのに」
「だからって、今更欠席するわけにも行かないじゃない」
 リツコが言うと、
「欠席なんて絶対嫌!」とアスカが慌てて口を挟んだ。せっかく楽しみにしていたのだ。どんなことがあっても行くつもりだった。
「さあ、どうすれば良いかしらねえ。お手上げだわ」とミサトは目をぐるっと回して、両手をあげる。完全に降伏するしかなかった。
 そんな困った女性陣のもとに、雨が本降りになって来たからと登場したのが男性陣だった。彼等は家に入るなり、突然どこからとも現れた得体の知れない美女に遭遇してしゃちほこばった。それからやっと、正体がアスカだと気づくなり、改めて息をのんだ。カヲルは試着中ずっといたので、多少免疫があったが、加持とシンジは違った。特に加持に至っては、ドレスを着ているアスカを見たのは初めてだった。ミサトが花嫁より目立つなんてことを言ってるのを聞いたときは大げさだと思っていたが、全くその通りだ。こんな女の子がいたら、そこがどこだろうと注目を浴びるのは当然だ。人間というのは美しいものを見たいと願うようになっているのだから。
 そんな呆然とした彼等に、ミサトは疲れた口調で言った。
「おかえり。もう今日は農作業やめたら?みんな風邪ひいたら困るじゃない」
「あ、ああ・・・。雨が本降りになったから、今日はもうお終いにしたんだ」と加持は答えながらも、アスカをまじまじと見つめていた。アスカは、ミサトとリツコに散々言われたばかりのところで、途方に暮れた顔で立っていた。
「いやしかし・・・、見違えたな。いや、まあ、きれいな子だとは思ってたけど、これはまあ・・・」と加持がしどろもどろになって言うと
「だから困ってるのよ!これだけシンプルなら大丈夫だと思ったら大違いだったの。これじゃあ、目立ちに行くようなもんだわ」とミサトは頭を抱えた。
「本当にすごいよ、アスカ!きれいだよ、天使みたいだ」とシンジはうっとりなって褒め称えた。
「天使だわ」とレイも繰り返した。
「あたしはケーキ食べたいわ」とアスカは関係ないことを言った。ミサトにもリツコにも認めてもらえなかったので、アスカはケーキの方に思考が集中していた。女性というのは時として同性の方に認められることをより重要視する傾向がある。
「ああ、そうね。着替えて良いわよ。ケーキ食べなさい」とミサトの許可を得たアスカは喜んで、部屋に戻っていった。
「さあ、どうするかね。あのドレスはまずいわよ」
 ミサトは疲れたように言って、座り込んだ。シンジはケーキを見つけたことを喜んで、早速お湯を沸かし始める。みんなで食べようと張り切っていた。カヲルはシンジにもてなされて、言われるがままに腰掛けた。レイは、またせっせと髪飾り作りを再開する。アスカの美しい姿にあてられて、一刻も早く完成しなくてはと決意したのだった。
「仕方ないよ。きれいなのは本人のせいじゃないんだ。それにあのドレスで、あんなに目立つんじゃもうどうしようもないだろうな」と加持は妻に言った。
「確かにかわいそうね」とリツコは切なげな表情でぼやいた。全く、アスカの両親は娘を孤児にしただけじゃ足りなくてこんなところにまで影響を及ぼすとは。
「・・・一つだけ、案を思いついたわ」
 突然ミサトがひらめいた。ちょうどやかんがなって、シンジは嬉しそうに駆け寄る。お茶の時間だ。ケーキとお茶の甘い甘い、幸せな時間。恭しい手つきで一つ一つのカップにお湯を注いだ。そしてケーキの皿とフォークを取り出す。
「案って何なの?」
 リツコが尋ねると、ミサトは暗い表情で頷いた。
「アスカは怒るでしょうねえ。ああ、あんまり悪役にはなりたくないけど、今回は大人として涙を呑むしかないわ」
「何よ、どうする気なの?まさか欠席させるつもりじゃないでしょうね」
「そうじゃないわ。・・・制服で参加させるわ」
 ミサトが決意を込めた口調で表明すると、一同はわっと驚いてその提案者をまじまじと見つめた。
「それはあまりにもかわいそうだわ!」とリツコは慌てた。
「いくら何でも・・・、アスカは自尊心が高いんだぞ!」と加持も俄然主張した。それに、美しいものをあえて隠そうとすることがもったいなくも感じていた。加持は自分の娘が、血が繋がっていなくてもあんなに美しいので誇らしかったのもあった。自慢したかったのだ。
「そんなの酷すぎるわ」とレイさえも声を荒げて言った。
「・・・アスカは嫌がるよ。かわいそうだよ。あんなにドレス着られるのを楽しみにしてたのにさ」
 シンジは動揺を隠せない口調で母親に言った。
「仕方ないでしょう。何度も言うけど、主役は花嫁。招待客は引き立て役なの。アスカが目立つようなことになったら駄目なのよ。制服なら、・・・変な意味では目立つかもしれないけど、その普段着でしょ。・・・それに地味だし」
 ミサトの言っていることは全面的に正しかったが、それでもその場にいた者たちは納得出来なかった。出来るはずがなかった。アスカの初めての晴れの舞台なのだから、期待に沿うようなかたちにしてやりたかったのだ。誰もがアスカの服装に対する執着は知っていたし、アスカがどれだけ結婚式を楽しみにしていたかも、この目で見て来たのだ。そんなアスカをがっかりさせるのは、あまりにも忍びなかった。だが、ミサトだってもちろん同じ気持ちだった。
 着替えが終わったアスカだけが唯一何も知らなかった。戻って来たアスカを一同は同情を込めたまなざしで見つめた。大人数に同じような目で見られたアスカはぎょっとなって、見回した。シンジが入れてくれたお茶から温かそうな湯気がのぼっているのが見えた。
「ど、どうしたの?」
 そこでいち早く切り替えをやってのけたのはミサトだった。ミサトは少々怯えるアスカの肩を抱くと楽しそうに席へ案内した。いつの間にかアスカの席はカヲルの隣りと決まっていた。それは、ひとえにレイとシンジのためだった。
「さあさあ、ケーキ食べましょうね。みんなアスカが来るの待ってたのよ。あなたが一番最初に選ぶでしょうからってね」
「ど、どうなってんの・・・?」
 誰もが何も言えないまま、アスカがケーキを選ぶのを見守っていた。明日の涙のお姫様に彼等がしてやれることといったら、好きなケーキを最初に選ばせてやることくらいでしかないというのが、情けなくて仕方なかった。

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