赤毛のアスカさん/99
加持たちはすっかり待ちくたびれながら、妻や娘たちが帰って来るのを待っていた。かれこれすでに待ち合わせの時間から三十分近くが経過していた。そもそも、シンジの服は最初に見つけたお店ですぐに決まってしまったので、彼等はただでさえ時間をもてあましていたのだ。ようやく待ち合わせの時間になったと喜んで帰って来てみれば誰もいない。そして、すでに三十分近くが経過してもいまだ戻って来ないという現状だった。一体どうなってるんだろうと加持は訝っていた。
「・・・きっと、アスカのことだから色々悩んでるんだよ。時間を忘れるくらい可愛い洋服がいっぱいあったってだけでも良かったじゃないか」とシンジは嬉しそうだった。アスカが洋服に対して高尚な憧れを色々抱いているのは百も承知だったので、アスカがその憧れをお店で満たせるんなら少しくらい待たされるのは仕方がないといわば達観していた。全く、シンジが優しい子で良かったと加持は安心しながら思った。
「どんなドレスを買うのかしら」とレイはうっとりしながら思案する。
「アスカだったら何を着ても似合うだろうね。外見だけは本当良いから」というシンジの言葉には時々妙な棘があったが、レイが謹んで合いの手を入れる。
「外見だけじゃないわ」
「ああ、そうだね。ちょっと言葉は悪いけど、優しいしね」とシンジは笑って言うのだった。
「そうだよ、アスカちゃんはとっても素晴らしい女の子だよ」とカヲルの父も張り切って参戦した。アスカの魅力についてなら、いくらだって語れる自信があったのである。シンジは不思議そうにカヲルの父を見つめた。
「それにしても遅いなあ、一体何やってるんだ?葛城は・・・。時間間違えてるんじゃないのか」
加持がいらいらしながらぼやいた瞬間、はるか遠くから待ち望んでいた一行がこっちに向かって来るのが見えた。ミサトとリツコとアスカの表情には明らかな疲労の色が見えていた。ミサトとリツコは必死に服を選び、アスカはそれを延々着る羽目になったのである。そして、カヲルさえもある意味では疲れていた。アスカがかわるがわる衣装を変えるのを見物しながら、何も出来ずにいたのだ。アスカが嫌になって愚痴るのを聞き、それでも必死になって大人たちが更に試着させる。そんな様子を半ば哀れみの気持ちでカヲルは見守るしかなかった。いつもならば、あんなに楽しそうに洋服を着ることを愛するアスカが、嫌がるなんていうのは相当のことに違いなかった。
そんな疲れた四人の様子に、待っていた者たちは首をかしげた。理想通りの洋服を手に入れ、喜びながら戻って来るのを想像していただけに、疲れ切った彼等の姿はまさしく予想外だった。
「・・・おい、大丈夫か?」
加持に声をかけられたミサトはすっかり疲れ切った目を夫に向けた。
「大丈夫も何もないわよ。こっちは必死だったんだから・・・」
「ど、どうしたの?アスカ?」
母親の疲労を見て取ったシンジは、アスカに矛先を向けた。同じように生気のない表情のアスカは、精根尽き果てた声で言った。
「三十着近く、あたし着させられたのよ。いい加減嫌になるわっ!」
「どれも似合ってはいたのよ」とリツコは何とかフォローする。
「似合ってりゃあ良いってもんじゃないんだもの」とミサトは絶望的な口調で続いた。一体何がどうなってるんだろうと、聞いている者たちは興味を引かれた。ミサトもリツコもアスカも何が言いたいのかさっぱり分からなかったのだ。
「一体どうなってるんだ?何の話してるんだ?」
加持が誰にでもなく聞いてみると、やっとの思いで答えたのは妻だった。
「バカみたいな話よ!アスカがドレスなんか着ちゃったら、花嫁よりも目立つの!だから、目立たなそうな服を探すのにどれだけ苦労したか・・・。外見が良くて損することもあるのねえ」
ミサトの説明を聞いた者たちは一気にアスカを見やった。そして、なるほどと素直に納得する。
「この一着だって、なくなく買ったのよ。もうどうにでもなれって最後はやけっぱちだったの。これだけつまらないドレスなら、大丈夫だと思ったのよ。アスカってばもう絶対いやだって、試着してもくれなかったのよ」
「まあ、か、買えたんなら良かったじゃないか。これで、ちゃんと結婚式には行けるんだからな」と加持は何とか妻をたしなめた。三十分も遅れて戻って来た妻がこの様子では、とても文句を言う気にはなれないに決まっていた。
「あたし、これ嫌いなのよ!けど、みんながこれにしろって言うもんだから、しょうがなくこれにしたんだもの。試着もしてないんじゃ似合うかどうかも分からないでしょ?」とアスカは正直に乗り気じゃないことを表明した。
「仕方ないじゃない、これが一番目立たないように見えたんだから」とミサトに言われ、
「そうよ。主役はあくまでも花嫁さんなんだから忘れちゃいけないわ」とリツコもアスカを諭した。分かってるけど、とせっかくドレスを買ってもらえる機会だったにも関わらず、気に入らないものが回って来てしまったアスカは落ち込んでいた。
「大丈夫だよ、アスカちゃんは見た目そのものがドレスみたいなものなんだから、何を着たって見劣りしないよ」としゃしゃり出たカヲルの父がアスカに言葉を呈した。アスカは恥ずかしそうにはにかんで見せると、恭しいお礼を申し出た。
「その見た目そのものがドレスみたいなもんだから目立たないのがなかったのよねえ」と悩ましげにミサトはぼやいた。
「まあ、ドレスは買えたんだし良いじゃないか。腹が減ったし、早いところ何か食べよう」
加持はみんな満腹になれば機嫌も直るだろうと提案した。アスカははしゃぎ、それからシンジに話しかける。
「あんたはどうだったの?ちゃんと買えたの?」
「うん、僕のはすぐ決まったんだ」とシンジは嬉しそうに言って、
「あなたに、これ買ったの」とレイがアスカに袋を差し出してきた。
「何?」とアスカは受け取りながら聞いた。
「似合うと思ったから、シンジくんとお金を出し合って買ったの」とレイが説明すると、シンジは照れくさそうに笑った。
開けてみると入っていたのは小さなバラがついたネックレスだった。まあ、とアスカはすっかり有頂天になって、レイに抱きついた。
「ありがと!こんな可愛いネックレス初めて見たわ!大切にするわね」
「ええ、」
アスカが喜んでくれたので、レイとしても大いに嬉しかった。早速レイがつけてくれた。アスカは自分では見えなかったし、制服に隠れてしまったので周りから見えないのを承知していたが、それでも誰も知らない部分にばらが隠れているのだと思うと、それだけで嬉しくてたまらなかった。そのばらのことを幸せそうに考えたアスカは、いつの間にか隣りにいたカヲルの存在にようやく気づいた。
「・・・あんた、何もしてないのにどうしてそんな疲れた顔してんの?」
アスカに指摘されたことでカヲルははっとなった。
「え?疲れた顔してる?」
「とんでもなく疲れた顔してるわよ。あんたなんかぼんやり立ってただけじゃないの」
「まあ、君からはそう見えたんだろうね。でも僕だって色々考えなくちゃいけなかったのさ。物事を熟考するってのも意外に疲れるんだよ」
どうせまた下らないことでも考えてたんだろうとアスカは思った。そうこうしているうちに、あっという間にレストランだった。アスカは以前カヲルと行ったレストランの場所を覚えていて、ぜひまたそこに行きたいと言い張ったのであった。水色と白を貴重にしたおしゃれなレストラン、あそこだ。
「あー、疲れた!さあ、食べましょ、食べましょ」とミサトは張り切って、
「お子様ランチあるかな」とシンジはメニューを開きながら、わくわくした。クリームソーダってのもおいしかったんだっけ、とチェックを怠らない。アスカはうまい具合にシンジとレイを隣り合わせに座らせることに成功したので、えらく満足していた。だが、その場合大抵つまらない代償がついて来るらしく、やはり隣りにカヲルがいたのが気になったが、このくらいは諦めるしかなかった。本当はリツコやミサトの隣りに座って、ドレスについてもっと話したかったのだ。
店には前回アスカとカヲルが来た時にいたウェイトレスがせわしなく動き回っていた。だが、彼女はすぐさま一年近く前に来たカップルの再来に気づいた。あれだけ豪華な外見はなかなか忘れられないものだ。どこかの芸能人か、王室みたいに美しかった。まあ、とウェイトレスはカヲルとアスカを見つけるなり嬉しくなった。それにしてもまあ、今日はまた大人数だこと!お互いの家族かしら、と彼女は訝った。その厳密な分類は他人には到底不可能だった。
「そいえば、おじさまには秘密だったのよね」とアスカが笑いを堪えながら言うと、カヲルは曖昧な微笑を浮かべた。
「前回一緒にシャーロットタウンに来たってこと、秘密にして欲しいって言ったのあんたじゃない」
「ああ、その話か。父さんは変に僕と君のことを勘ぐるからうっとうしいんだよ」
「あんな素敵なお父様がうっとうしいなんて酷いわ!」
「君とってはさぞかし素敵なのかもしれないけど、僕には色々やりにくいとこもあるのさ。人間は万能じゃないからね」
カヲルはそう言ってアスカにメニューを見せる。
「またお子様ランチ?」
「・・・バカにしてんの?」
「おいしかったじゃないか」
「あたし、ロコモコにする」とアスカは言い張った。それと、クリームソーダ、と付け加えるとやっぱりカヲルは笑った。
「あんたはどうするの?」
「僕?うーん、同じのにしようかな。考えるの面倒だし」
「また一緒?あんたって、自分の個性やら何やらはないわけ?」
「食べ物はそうこだわらないんだ。それに、一緒に食べる人と同じものを食べた方が共有出来ることも多いと思わないかい?」
カヲルの持論がさっぱり理解出来なかったアスカは何だってんだとばかりに首をかしげた。勝手に言っててくれといったところだ。
「じゃ、みんな決まった?頼むわよ」
ミサトの号令がかかり、ウェイトレスがいそしんで現れた。出来るだけ位置を選ぶと、前回同様アスカににっこり微笑みかけた。なので、アスカは相手が誰だかちゃんと分かって、同じように微笑み返す。人に顔を覚えてもらえていると、妙に嬉しいものだ。
「はい、あんたから言って」
妻に促された加持から順番に注文が始まる。大人たちはおいしそうなものを適当に頼んで、レイとシンジはアスカの影響に感化されて、お子様ランチとクリームソーダを頼んだ。それを聞いたウェイトレスは思わず笑いを堪えてしまった。前回の二人のメニューと同じものを頼むなんて、と。それから、その前回の二人が頼んだものがまたも同じだったので、ウェイトレスはこのカップルはいつになったら結婚するんだろうとか、そんなことを思案して楽しんだ。
ウェイトレスが去って行ったところでアスカはひそかにカヲルにだけ報告した。
「ね、あの人、前来た時にサービスしてくれたのと同じ人よ」
「よく気づいたね」
「だって、あたしににっこり笑ってくれたんだもの。忘れやしないわ」
「そいえばそうだったね。君は大いに気に入られたんだった」とカヲルも思い出すのだった。
「さっきの話だけど」とアスカが話題を転じると、ウェイトレスのことから一気に話が変わったものだとカヲルは目をぱちくりさせた。だが、さっきの話というのはどの程度までさかのぼるのか、カヲルには検討がつかなかった。前の大人たちがシンジの服の報告を聞いたり、アスカの服の報告をしたりと忙しそうだったおかげで、二人の会話は誰にも気づかれていなかった。
「さっきの話?」
「あんた、言ったでしょ。人間は万能じゃないって」
「ああ、父さんのこと?」
「もちろんおじさまもそうだけど、みんなのことよ。そりゃまあ、人間は万能じゃないわ。でも、あんたがおじさまのことを好きだったら、欠点さえも愛せるものだと思うわ」とアスカは嬉しそうに言うのだった。
「なかなか難しいことを言うね」
「それが愛なのよ。良いところも悪いところもみんなひっくるめて、その人を好きだって思えることこそが本当の愛だわ」
うっとりしながら、アスカは目の前に座っていたリツコに向かって微笑んで見せた。リツコは子供たちの会話を聞かないように努めて、隣りのミサトに何か問いかけるたびまじめに答えていた。加持はすでに、カヲルの父との会話に夢中になっているようだ。では、レイとシンジはどうだろう?アスカが横目で見ると、二人はメニューを黙って眺めているばかりだった。で、アスカはぎょっとなった。あの二人は一体何がしたいんだろう、と。
「・・・ねえ、あれ何してるんだと思う?」
アスカが問いかけると、カヲルは思わず笑ってしまった。
「好きなんだろうね」
「メニュー、黙って眺めるのが?」
「人それぞれだよ」
することがないから仕方なくやってるだけにしか見えないと思ったアスカは、カヲルのように前向きに考えられたらどれだけ良いことかと切なくなった。でも、とアスカは突然嬉しくなる。今アスカが身につけているのはシンジとレイが協力して買ってくれたネックレスだった。これこそが、あの二人の気持ちの同調なのだと思うと、それだけで幸せになれる。
「そうだね、君の言う通りだ」
突然カヲルがひらめいたように言って、アスカは飛び跳ねそうになるほど驚いた。
「は?」
「良いところも悪いところもひっくるめて、全部好きになるってことさ。うん、君の言う通りだよ。それこそが真実の愛だ」
カヲルは嬉しそうに納得すると頷いた。どうしてこんなに嬉しそうなんだろうとアスカが疑問に思っていることなど何のその。レイとシンジは黙ったままメニューを見つめ続け、ミサトとリツコは以前ドレスの話を続けていた。加持はカヲルの父に株について色々教えてもらっていて、カヲルは高尚な口調で愛を語る。そして、そんな小さな集団をそっと見守るウェイトレスの存在。アスカは、そんなささやかな集まりの中に小宇宙を見たような気がしていた。そして、ウェイトレスが神様みたいに思えた。近づいても、そっと微笑むだけでまたいなくなる存在。頼んだものだけを運んで来てくれる人。ただじゃない、そこにはちゃんとした代価が伴う。これが世の中のからくりなのだ。
アスカが頬杖をついてみんなを見ながらそんなことを考えていると、件のウェイトレスがクリームソーダを四つ持って現れた。子どもたちの前に一つずつ、置いてくれた。そして、アスカの一番近い場所に来た時にはやはり笑ってくれたのだった。
そして、料理を持って来てくれた時もまた同じだった――まるでアスカに微笑みために何度も往復しているかのように。
ウェイトレスが去るなり、カヲルは小声で言った。
「相当君は愛されてるみたいだね」
「あたしだって大好きだわ」とアスカは答えた。アスカは初挑戦のロコモコ料理にどこから手を出そうかつかの間案じた。それから、まずはとばかりに付け合せのほうれん草を食べた。しっかりとしたほうれん草の甘みが存分に生かされていて、とんでもなくおいしかった。
「このほうれん草、おいしいわ」とアスカが感動すると、カヲルは興味を持って口に入れた。
「本当においしいね」
「ほうれん草の甘みって大好き」
アスカが幸せそうに言うと、カヲルは首肯しながら尋ねた。
「ね、こうやって一緒にいる者同士同じものを食べて共鳴出来るって良いものじゃないかい?」
そうかもしれない、とアスカは思った。このほうれん草の味を誰かが理解してくれたのがとてつもなく嬉しかったのだ。だから、素直に頷いた。制服の中で、つけているネックレスが小さく揺れるのを感じた。思い出したようにして、メニューを凝視していたレイとシンジに目をやると、やはり楽しそうに食べながら話し合っていた。

